闇はまだざわめいている。
古びた廃寺。数年前に住職が亡くなって以来、放置されそのままになっていたが、今は幾人もの人の姿があった。彼らの足下には先程までヒトだったものが転がり、辺りには血の臭いが立ち込めている。
先月の終わり、上からの命令でこの寺をアジトにしている攘夷志士たちの調査を始めた。連中は昼間は物売りに扮し情報を集め、夜にはこの寺へ集う。何日もの調査の末、今日全員がこの寺に集まるとの情報を得た。
そして――夜の帳が下りた頃、真選組は夜襲を仕掛けた。
相手は十五人。それに対しこちらは八人。二人ずつペアになり四方から突入した。突然の事に連中はうろたえた様だが、真選組とわかると刀を抜いて切り掛かってきた。しかし、こちらも腕に覚えのある者たちばかりで、連中はあっという間に伏して動かなくなった。
「山崎」
副長に呼ばれた。返り血をべったりと浴びている。
「これで全員殺ったな?」
「ハイ」
骸の数はぴったり十五。全員の死亡を確認した。
腕を落とされた者、目を潰された者、惨いことだとは思うが、それも仕方が無い。相手も武装しており、自分の命を危険に晒しているのだ。綺麗事など言っていられない。仕方の無い事なのだ――。
しかし、そもそも真選組は警察なのである。テロリスト等の凶悪犯に対し止むを得ない場合もあるが、基本的には犯人を捕らえることが仕事なのだ。もちろん生きたままで。
それにも拘らず、こんな殺し屋まがいのことを何故しているかというと、ひとえにお上からの命令というしかない。真選組として仕事ではあるが、その大義名分ははっきりしない。
正直言えば俺は納得していない。普通ならば攘夷浪士として正々堂々と捕まえることが出来るのだ。それを表沙汰にはせず、凶悪なテロリストとして処分してしまう。明らかに怪しい。ただ幕府の連中どもにいいように使われているだけではないのか。そんな疑念がある。
そして、それ以上に納得できないのが、局長や副長の態度である。確かに真選組は幕府に拾われた身であり、恩があるのだと局長もよく口にする。しかし、だからといって人殺しまで請け負うような人だとは思わない。寧ろ拒否する確率の方が高いと思う。ずっと真選組の一員としているが、この点に関してだけは分からない。勿論、何かしらの考えがあっての事だとは思うのだが……。
そこで益体も無い考えを打ち切り、もう一度辺りを見回した。何度見ても厭な色である。そういう自分の手にも血がべったりと付いている。ぬるりとして気持ちが悪い。おまけに金臭いにおいが充満している。外の空気を吸おうと外へ出た。
夜の冷たい空気を肺の中を洗い流すように思い切り吸い込む。
初めは暗くて気が付かなかったが、沖田隊長が立っていた。どうやらほんの少し血飛沫と思しきものが飛んでいたが、大して汚れてはいない。別に沖田隊長がサボっていたという訳ではなく、彼の剣技の冴えゆえだ。最小限の力で確実に仕留める。何より実戦で役に立つ。それが沖田隊長が真選組随一の剣の使い手と謳われる所以だ。
浪士どもには恐れられる沖田隊長だが、普段を知っている自分には怖くもなんともない。いつも通りに声を掛けた。
「沖田隊長、こんな所にいらしたんですか」
「おう、山崎。てめーもサボりかィ」
確かに中では片付けの真っ最中である。サボっているようにしか見えないが、この人だけには言われたくない。よく見回りをサボっては副長をキレさせている。
「総悟ォォォ!山崎ィィィ!どこいったァァ!」
「やべっ」
案の定、副長の怒鳴り声が聞こえた。沖田隊長と顔を見合わせたが結局は戻らなかった。
また、あの中に入るのは少しだけ厭だった。
と、視線を感じたような気がして、庭へと目をやった。
辺りは静まり返り、動くものも何もない。しかし、植え込みの所に確かに、いる。
まさか、まだ仲間がいたのかと焦る。監察方としてとんでもない失態だ。片を付けるべく、そっと刀に手を掛ける。
「山崎ィ」
後ろから沖田隊長ののんびりとした声が聞こえたが、今は構っていられない。無視したままでいると、今度は腕をとられた。
「土方さんがさっきから呼んでるぜィ。あの人も大概にしつこくていけねーや」
「沖田隊長っ」
今逃がす訳にはいかない。真選組が何をやっていたのか詳しく知ってしまう前に、殺るしかないのだ。しかし、沖田隊長はがっちり掴んで離そうとはしない。それどころか引っ張られ、敵に背を向ける格好になってしまった。
「沖田たい――え?」
小声で囁かれた言葉に沖田隊長の顔を見返した。そこにはいつもと違う真剣な表情があった。釈然とはしないものの、それ以上は何も言わず、大人しく沖田隊長に従って中へと戻った。それでもさっき沖田隊長がいった言葉が頭の中から離れずにいた。
(――あれは幕府の手下だ。ほっとけィ)
俺はどうしたらいいか分からなかった。
* * *
一通り片が付き、屯所への帰り道。黒い隊服に染み込んだ血の色は目立たない。それでも歩くとともに、血の臭いが纏わり付いてくる。
のろのろと後ろを歩く俺に沖田隊長が近付いてきた。
「沖田隊長」
「どうやら行っちまったみてぇだな」
「……幕府の手下……ですか?」
「他に誰がいるんでィ」
それはそうなのだが、なぜ尾行され監視されなければならないのか。そんな俺の疑問を読み取ったのか沖田隊長がニヤリとする。
「俺たちは信用されてねぇのさ」
「……そんな!」
「嘘じゃねェ。この一件が何よりの証拠だぜィ。奴らを斬る必要なんてどこにもねぇだろ?」
「それは…そうですけど」
確かについさっき自分自身が思っていたことである。やはりこの一件、いや今までの命令には裏があったのだ。沖田隊長は表情も変えずに続きを話し出す。
「ただ単に俺らを、真選組を試すためだけに奴らは死んだんだ」
「……え?」
「幕府に天人に盾突かねぇかってな。反抗するようなマネすりゃあすぐにコレだぜィ?」
そう言って沖田隊長は自分の首を掻っ切る仕草をした。さっきの死体の中にも首を斬られていた者がいた事を思い出す。更に気分が悪くなった。
「……それは局長や副長も知ってるんですか?」
「当たりめーだろィ。あの人らがお上に命令されたからって、こんな事そう簡単に引き受けるとでも思ってんのか」
「まさか!でも……そんな」
ショックだった。幕府に信用されていない事、真選組を試すための殺しだった事。どちらも大きな衝撃を受けたが、それ以上に何も知らない自分に対してだ。
別に秘密にされていたとは思わない。局長らが言うべきでは無いと判断したのならば、それに従う。当たり前のことだ。しかし、この件をどこか厭うて調べにおざなりな所があったのも確かだ。だから、さっきも植え込みに潜む敵を攘夷浪士の仲間かと、後ろめたさがあったが故に疑った。真選組の生死が賭けられているとも知らずに。
「今んとこ知ってんのは俺と近藤さん土方さんそれと山崎、四人だけだ。誰にも言うなよ」
「……言えませんよ、こんな事」
沖田隊長は話は終わったとばかりに、足早に前を行く局長たちの元へ行ってしまった。恐らく俺のことを報告するのだろう。その後ろ姿を見ながら俺は何とも複雑な気持ちになった。
普段は見回りをサボったり、副長イジメに励んでいたりと不真面目に見える沖田隊長だが、実は人一倍不正や犯罪というものが嫌いな人なのである。本当はこんな仕事、嫌で嫌で仕方が無いだろう。それでも真選組の為に己を律している。ただ剣の腕だけで隊長という役職に就いている訳ではないのだと、改めて思い知らされた。
俺もそうだが、沖田隊長も副長も局長も真選組しかないのだ。また同じような任務が下れば受けるしかないのだろう。俺は溜息をついた。
まだ夜は明けない。
真選組という組織の立ち位置。
2006.02.09