24 吉原炎上篇後の周辺


パンドラの匣

突然の出来事に辺りは騒然としていた。真選組や奉行所の人間が懸命に声を張り上げ制止しているが、物見高い江戸の住人は一目見ようと押し合いへし合いしている。僧形の桂はその様子をちらりと見遣ると、人目を避けるように横道に入っていった。

「エリザベス、見たか?」
『地面に大穴が空いてましたね。陥没というわけじゃなさそうですが』

人込みを避け、路地に待機していたエリザベスと並んで歩く。

「あの下はな、吉原があるのだよ」
『……あの?』
「うむ。あそこは江戸であって江戸でない場所。春雨や幕府暗部が巣食う魔窟だ」
『何があったんでしょうね』
「さて、あそこを治めるは夜王鳳仙。生半可な気持ちでは刃向かえまい。あるいは内紛かもしれぬな」
『暫くもすれば仲間から報告も上がってくるでしょう』
「そうだな」

そう言いながら、桂は後ろを振り返える。先ほどよりも人が増えたように思われた。

『どうかしました?』
「ん?何、こたびのことで、一時のことかもしれぬがブラックボックスは開かれた。パンドラの匣となるのか、それともまた閉ざされるのか、どちらかと思ってな」


(桂とエリザベス)

一夜の夢

バタバタと足音を立てながら勢いよく扉を開けて入って来たのは、また子だった。

「晋介様!大変っすよ!テレビ見てくださいっす!」
「もう、見ていますよ」

武市の視線の先には突然起こった大陥没の知らせるニュースが流れている。ただし、どこも吉原のことには僅かにしか触れていない。酒を煽りながら見ていた高杉は皮肉気に笑った。

「フン、連中もたいしたことねぇな」
「確かに、いくら幕府が腑抜けとはいえ、これはマズイでしょうね。まあ、まだ詳細が分からないので何とも言えませんが。じきに情報も上がってくるでしょう」

吉原は格好の隠れ蓑であり、高杉の配下の者も大勢いる。

「しかし、吉原なァ」

高杉の呟きを耳聡く聞き付けた武市は、傍目には判らぬ程度に口許を緩ませた。

「おや、もしかして馴染みの遊女でもいましたか」
「まあな」
「それは聞き捨てならないっす!」
「今の吉原じゃねェよ」
「ああ、私もそちらなら行ったことがありますよ」
「ええっ!ロリコン先輩がっすか?!」
「誰がロリコンですか!秘密裏に集まるのに都合が良かったんです!」

当時はまだ地上にあった吉原。かつては高杉だけでなく多くの者たちが通い、遊女相手に壮大過ぎる夢を語ったものだが、それも全ては燃え盛る炎に呑まれその姿を消した。

「ククク、そんなことすっかり忘れちまってたが、お陰で久々に思い出したなァ」

画面の向こうではレポーターが必死な表情でまくし立てていた。


(高杉一派)

檻は破れずとも

松平に詰め寄った近藤は思わず机を叩いた。机が衝撃に震えるが、肝心の主は葉巻をふかしたまま、身じろぎもしない。

「とっつあん!命令を出してくれよ!攘夷浪士たちを一網打尽に出来るチャンスだろ!」
「駄目だ。吉原に手を出せねぇ事くらい、バカなお前の頭でも分かんだろーが。こんなとこ来てる暇あったら、隊士どもに命令出せ」
「そっちはトシがやってるよ。上に直接交渉出来る俺だけだからな、こんな時くらい動かないでどうする」
「フン、生意気なこと言いやがって」

まだかなり残っていた葉巻を灰皿に押し付けた松平だが、近藤とは違いその表情に苛立ちは無い。

「正直な話、わかんねェんだよ」
「は?」
「上は今回えらく混乱しててな、テロだ内部抗争だ反乱だって情報が錯綜してやがる。まあ、春雨絡みなのは確からしいから、どっちにしろ諦めるんだな」
「しかし、とっつあん!」

更に言い募ろうとした近藤だが、コンコンという軽いノックの音に遮られる。松平が入室を促すと、長い髪の女が現れる。

「失礼します」
「おぉ、来たな」
「あれ……」

その姿に目を瞬かせる近藤だったが、女は一瞥もくれず机へと歩み寄る。松平はまあ頼むと、懐から一枚の紙を差し出す。受け取った女は目を通すなり、その表情を曇らせた。

「お受けしますけど、あまりご期待には添えないかもしれませんわ」
「構わねェ」
「わかりました。仰せの通りに」
「おお」

結局、女は一度も近藤と目を合わせることはなく、退室していった。完全に蚊帳の外の近藤はただ立ち尽くす。松平は返された紙を丸めると、ライターの火をつけた。

「とっつあん、今の」
「なあ、近藤。世の中正攻法ばっかじゃやってけねェのは、お前だってわかんだろ。少しは頭を使え、頭を」

灰皿では火をつけられた紙が燃え尽きようとしていた。


(松平と近藤)

理など知らぬか

店を開けるにはまだ少し早い。身仕度を整えながら、つけっぱなしのテレビを聞くでもなく聞く。チャンネルを変える必要はなかった。

足音が部屋の前で止まり、軽いノックの音がした。店の子だろうと声を掛けると、思ってもみない声が返ってきた。

「邪魔するよ」

ずかずかと入ってくるが、この女の所作は乱暴なようでいて無駄がないから音がしない。初めて会ったとき、既にババアに肩足突っ込んでる年だったが、立ち振る舞いの綺麗さには目を見張ったものだ。

「珍しいじゃない。そろそろ開店の時間だろうに」
「そうさ。だから、さっさと済まして帰らせてもらうよ」

お登勢は部屋の隅に置いてあった灰皿を勝手に引っ張り出すと、煙草に火をつける。一吹かしすると、ちらりとテレビに目を向けた。

「用件はアレさ」

画面ではレポーターが地面に開いた大穴を前に何やらまくし立てている。今はどこのチャンネルも同じような状態だ。

「……あそこに手を出すのは賢明だとは思えないけどねェ」
「そんなこと気にしない馬鹿がいるんだから仕方ないだろ」
「あの銀髪かい」
「正確には銀髪ども、だ。」
「ったく、尚更手に終えないわね。で、何しろっての」

お登勢はふぅとため息をつくように煙を吐き出すと、

「何かあったら、頼むよ」

と、随分と気楽に言い放ってくれた。その何かを言ってもらわない事にはどうしようもないじゃないか、そうは思ったが。

「知らぬ顔じゃなし、仕方ないわね」

かつての自分では成し遂げられなかったことを成し遂げた者がいる。
何だかとても愉快な気持ちだった。


(お登勢とマドマーゼル西郷)

後始末

退室を許された阿伏兎は、居並ぶ元老たちに深々と頭を下げ、扉へと向かった。ため息を押し殺しドアを開けると、いつもと変わらぬ笑みと目が合ってしまい、思わず眉を顰める。そのまま、何食わぬ顔でドアを閉めた。

「ご苦労様〜」

壁にもたれ掛かっていた神威は、阿伏兎と並んで歩き始める。そんな自分の上司を見遣りながら、今度こそため息を吐いた。

「とりあえず、鳳仙の件は片付いた。慣例通り吉原の統治権は第七師団に移行だ」
「ふーん。阿伏兎やる?」
「やんねぇよ。つーか、そんなことしたら、また面倒なことになるだろーが」
「まあね。しかし、なかなか考えたね。あの銀髪の手柄を横取りしちゃったけど、別に向こうもその方が都合がいいだろうし。うん、やっぱり阿伏兎を殺さなくて良かったよ」
「そりゃあ良うござんしたね」

肩を竦めた阿伏兎は、エレベーターが正面に見えたが、そのまま左手へと足を進めた。

「あれ、どこ行くの?」
「我らが団長様のために、もう二、三箇所根回しにだ。先に帰ってろ」
「ああ、よろしく頼むね〜」
「ヘイヘイ」

神威を一人にする事に若干の不安を覚えた阿伏兎だがそれを振り払い、さてどうするかとこれからの算段を巡らせた。


(阿伏兎と神威)

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