キーンコーンカーンコーン。
ガラガラ。
きりーつ、礼、着席。
「あーお前ら、今日は朗読をしてもらいます。一文読んだら、後ろのやつな。んじゃあ志村から」
「――十六年間睡っていたらしかった」「とても爽やかと云えない目覚めだった」「ひどく頭が重く、鈍い痛みがあった」「寝不足かはたまた寝過ぎのせいなのか」「浮腫んだ瞼越しに映った光景に愕然とした」「天井の四隅には破れた蜘蛛の巣が何層にも絡まり、床も汚れ放題で綿埃に包まれたゴキブリやカマドウマが幾つも干乾びている」「まるで廃屋だ」「共働きで共にずぼらな性格の夫婦なので確かに掃除は怠りがちではあったけれど、そんな度合いなど遥かに超えた汚れかただった」
「あの、先生」
「んだよ、志村。読めねー漢字でもあったか」
「違います。これどこまで読めばいいんですか」
「授業が終わるまでに決まってんだろ」
「アンタ、まさかそれで1時間終わらせる気か!」
「当り前だろ。今日雨だぞ。髪の毛まとまんなくて、超ブルーなんだよ。授業なんぞやってられねぇよ」
「それでも教師ですか!」
「髪の毛さらっさらの奴に言われたくねぇんだよ。いいや、次のやつ読め」
「わかりました。でも、一つだけいいですか?」
「なんだよ」
「何で『生きている渦巻き』なんですか?」
「単にこの文書いてるやつの蔵書だ」
「……そ、それだけですか」
はい、そうです。
一時間目の休み時間。3年Z組の教室入口。
「そーちゃん」
可愛らしい、けれどよく澄んだ声の女子の姿に、近藤や山崎と話していた沖田は慌てて席を立ってドアへと向かった。
「姉ちゃん!」
「お弁当忘れてたでしょう。はい」
その手には毎朝ミツバが作っている弁当がある。両親とも健在ではあるが、複雑な事情を抱える沖田家は現在姉弟の二人暮しで、家事はもっぱら分担制である。但し、朝のみミツバの当番と決まっている。朝の総悟は壊滅的なまでに役に立たないからだ。
「メールでも入れてくれれば取りに行ったのに」
恥ずかしいような拗ねているような沖田の表情に、ミツバはくすりと笑った。
「そうしようかとも思ったけど、このあと移動教室が続いてて、ずっと教室にいないの。戻るは戻るけどすれ違っちゃっても困るでしょう」
「そうだけど……」
「次は音楽室だからもう行かなきゃ。じゃあね、そーちゃん」
そんな様子を見ていた山崎と近藤。
「近藤さん、今の人って」
「あれ、山崎知らなかったか?沖田ミツバさん、総悟の姉ちゃんだよ」
「え、でも」
「あぁ、ミツバさんは昔っからあんまり身体が丈夫じゃなくってな、ずっと休学してたんだよ。今年やっと来れるようになったんだ」
「へー、でもよく似てますよねぇ。双子って言われても信じちゃいそうですよ」
「ははは、ちっさい頃はよくミツバさんの服着せられててなぁ」
「近藤さん!」
遠くでもはっきりと聞こえてきた、というかただ単に近藤の声がデカイともいえるのだが、小さい頃の恥部ともいえる話に慌てて止めに入る。しかし、当の近藤はそんな沖田の様子に不思議そうに見返した。
「いーじゃねぇか。似合ってたんだし、可愛かったぞー、総子ちゃんって感じで」
「嬉しくねぇですって」
「そうか?」
心底分からないという顔をした近藤に、沖田はがっくりと肩を落とした。
銀魂高校職員室。4時間目の授業の受け持ちがなかった銀八は机に向かって頭を悩ませていた。そこへ同じく授業の無い松平が声を掛けた。
「銀八ィ、今日が締切だぞテメェ。早くしねーと、不参加にすんぞ」
「あー、今悩んでるんすよ」
銀八は唸りながら今まで見つめていた紙を目の高さまで揚げた。赤ボールペンの後ろで頭をぽりぽりと書く。
「わしは千代育栄がオススメじゃな」
声がしたのはすぐ真向かいの机で、採点をしていた坂本がにっかりと笑った。
「坂もっさん」
「今年はえらい球放るんがいるっちゅう話じゃろ?悪かないと思うんじゃ」
「地元は応援しないのかよ」
「それとこれは別の話じゃ。で、どうする」
「うーん、今年はLPと光陵がくるかと思ってんだけどよォ。とっつあんは?」
「俺は霧蔭だな」
その時、銀八の持っていた紙がひらりと床に落ちた。銀八は拾い上げようと屈んだが、白い手が先に紙を奪っていった。
「なになに、一口五百円、連式単勝……」
「あ」
顔を上げた先では校長が頬をぴくぴくと引き攣らせながら、拾った紙に目を通していた。そして、その後ろでは教頭ががやがや箱を読んでいる。
「坂田先生、これは何かのう」
「あー、なんつーかどの高校が頑張ってくれるかなーみたいなのを、松平先生と坂本先生と話してたんす……あ、いねぇ」
二人は校長が紙を拾う間に、そそくさと職員室がら逃げ出していた。
「これどーみても賭けだよね。高校野球で賭博してるよね」
「んな大袈裟な。みんなやってますって」
「余だって、やってるのがそこら辺のオッサンなら怒んねーよ!テメーは教師だろーが!」
銀八に詰め寄るハタ校長。そこに、がらりと職員室のドアが開く音がした。
「何、騒いでんだィ。廊下まで声が響いてるよ」
「理事長!」
話し掛けようとするハタ校長をさっくりと無視して、お登勢は職員室をぐるりと見回した。しかし、どうやらお目当ての人物がいなかったらしい。
「まあ、銀八でいいか。アンタ松平にさっさと金と用紙持ってきなって言っといてくれるかィ。今日までだからね」
「あーハイ、了解っす」
この二人のやり取りに、ピンときたハタ校長は、怒りの矛先をかえ、今度はお登勢に詰め寄った。
「りーじーちょう!」
「何だィ、さっきから喧しい」
「まさか、理事長が胴元とかいうんじゃないでしょうなあ!」
「その通りだよ。まさか、アンタ知らなかったのかィ?」
「知るわけねーだろうが!」
「私は知ってましたよ」
「教頭?!」
「つーか、全教職員知ってますよ」
しばし、沈黙。
「……てことは何、もしかして余がハブられてただけ?」
「「「 うん」」」
「ふざけんなァァァァ!」
――キーンコーンカーンコーン。
ハタ校長はキレっぱなしだが、4時間目終了のチャイムを合図に、銀八がこきこきと首を鳴らす。
「さーて、昼飯食い行くか」
「日替わり定食にでもしようかねィ」
「たまには食堂もいいですねぇ」
「オイこら!まだ余の話は終わっとらんぞ」
話途中にも関わらず、食堂へ向かおうとする三人にハタ校長が怒鳴り付ける。しかし、言われた方は首だけ向けて、
「昼休み中なんで」
「そういうこと」
「また、後で」
そう言って職員室から出て行った。残されたのはハタ校長だけ。
「お前らの給料10%カットだからなコノヤロー!」
昼休みの屋上。土方は初夏の陽射しを避け、給水塔の陰で食後の一服をしていた。乾いた風が心地良い。そこへ足音を潜め、近付く人影が一つ。
「土方」
「うわっ、て鴨かよ。驚かせんじゃねェよ」
「お前がこんな所で煙草吸っているのが悪いんだろう。全く、風紀委員会の副委員長からしてこうなのだから、困ったものだな」
そう言いながらも伊東は微笑むだけで、吸い続ける土方の煙草を奪いはしない。隣に並んだ伊東を横目で見ながら、土方は少しばかり不機嫌そうな顔をした。
「お前も別にチクりやしねぇだろーが。で、何か用かよ」
「この前借りたDVDを返しに来てやったんだ」
「部活ん時でいいだろ」
「あいにく今日は執行部があってね。そうだ、近藤さんにも部活行けないからと伝えておいてくれ」
「了解……って何だその手は」
「一本寄越せ」
ぶつくさ言いながらも、土方は胸ポケットにしまっていた煙草の箱を取り出した。
「いつものことだけどよォ、いいのか生徒会長サマが」
「君も共犯だろう?」
伊東は優等生には似つかわしくない、ニヤリとした笑みを浮かべた。
「失礼しまーす」
長谷川が職員室に行くと、予想通り銀八は自分の机にいた。放課後のこの時間、他の教師は部活動や授業の準備で席を外し忙しそうにしているが、銀八はいたって暇そうである。
そんな暇人の銀八も何かしら部活の顧問をやっているらしいが、その部活が何なのかは定かではない。そんな馬鹿なと言いたいところだが、銀魂高校には有象無象の部活動があり、学校側も総数は把握していないとすら言われる。
「おー、マダオ」
「教師のアンタがマダオって言うなよ!つーか、マダオは銀ぱっつあんの方だろーが!」
「いや、俺よりお前の方がオッサン臭いって」
「そんなことねー!」
「百人にアンケート取ったって間違いなく、有罪だって」
「有罪ってなんだよっ?!」
「気にすんな。で、なんの用だ。こう見えても忙しいだよ俺は」
「…………どう見ても暇にしか思えねーんだけどな。まあいいや。銀ぱっつあん、アルバイト部の顧問って知ってるか?」
「アルバイト部?」
「おう。なんでもこの学校にあるって話を聞いたんだけど。そこなら効率よくバイト探せそうだし」
銀八は長谷川に言葉に少し考え込むと、ポンと手を打った。
「あー、その顧問確か俺やってたわ」
「先生が?」
「つってもアレだぞ。現代のアルバイトの業種統計とか賃金格差とか真面目な文化部だぞ。間違っても、お前の思ってるような求人募集部じゃねーぞ」
「……チッ、やっぱそう上手くはいかねーか。つーかさ、何で先生はがそんな部活の顧問やってんだよ」
「……成り行き?」
「なんで疑問形なんだよ!」
有象無象の部活群。その理由の一端は、勤めている教師たちの適当さのせいだとも言われている。