朝比奈氏分流 朝比奈谷を知行
【静岡県姓氏家系大辞典】より抜粋
 「駿河国志太郡殿村に、朝比奈国俊系朝比奈氏の分流がある。今川義元に仕えた又八郎吉周を祖とし、吉周 - 孫左衛門泰元 - 助一郎泰房 - 吉舎 - 吉則 - 吉定 - 吉政 -吉清 - 吉続 - 吉泰 - 吉風と続き、文禄年間ごろの吉舎の時に殿村に住んだという。このうち泰元は今川氏真・武田信玄、泰房は武田信玄・勝頼に仕えた」 

朝比奈氏 農に帰る
【朝比奈村誌】より抜粋
 「徳川時代となりては、朝比奈氏悟る所ありて断然農に帰し、岡部氏のみ幕府に仕えしという」

戦国時代の朝比奈谷領主(上項を要約))

年 代 戦国武将 朝比奈谷領主
天文(1532〜)
 今川義元  又八郎吉周
弘治(1555〜)
 今川氏真・武田信玄  孫左衛門泰元
元亀(1570〜)
 武田信玄・勝頼  助一郎泰房
文禄(1992〜)  徳川家康  吉舎(帰農)


江戸時代の朝比奈谷領主
 朝比奈氏帰農以来、朝比奈谷は幕府の直轄であったが、享保20年(1735)宮島村が美濃国岩村城主(松平能登守)の所領に、明和7年(1770)玉取、青羽根、殿、野田沢の4ケ村が遠州横須賀城主(西尾隠岐守)の所領となる。また、羽佐間は天明3年(1783)旗本大竹主膳の采地となる。
(出典:藤枝・岡部教育研究会 中学校社会科 郷土資料集 1984)