まちじゅうのタクシーとまれとてをあげるこいってなんかそういうかんじ


街じゅうのタクシー止まれと手をあげる恋ってなんかそういう感じ


「色紙2003・四月(04年)」 神崎ハルミ


_________ 歌 の 栞 _________

目をつむれば  神崎ハルミ

 七月の朝に向かって開け放たれた窓からは、涼しい風が吹き込むかわりに、蝉の鳴き声が熱風のように侵入し、じりじりと室内を焼き尽くそうとしていた。入口で受け取ったプログラムで顔を扇ぎながら、最後部の長椅子に腰掛ける。左端、いつもの場所だ。はるか前方には、今日もひとかたまりになって座る女子の一団がいる。
 中学に入学して、僕は教会へ通うようになった。いわゆる日曜学校というやつだ。といっても信仰に目覚めたわけではない。プロテスタント系の学校に入学してしまったからだ。入学早々、宗教主事という肩書きをもつ教師が、「君たちにも信仰の自由があるから強制ではありませんが」と不気味な笑みを浮かべながら、家から最寄りの教会を教えてくれた。
 (あいつら、また誰も来ないのかなあ。)
 この教会には、僕を含め六人が<派遣>されたのだけれど、ゴールデン・ウィーク明け頃から出席率がガクンと落ちた。クラブの練習や試合があるからという正当な理由で来られなくなった奴もいたし、月一回の出席に自主的に変更した奴もいた。学校で月曜から土曜まで毎日、讃美歌を歌い、説教を聞き、お祈りをしているんだからそれで充分といえば充分だ。じゃあ、一体なぜ信者でもない僕が、皆勤賞の豪華商品がもらえるわけでもないのに、四月から一度も休むことなく教会に通っているのか……。
 深い意味なんてない。ただの気まぐれ、惰性だ。チビでずんぐりしている僕は、デジタル時計が全盛の時代にアナログの腕時計をしていたこともあって、みんなから「タンシン」と呼ばれていた(クラスには、ひょろ長い「チョウシン」も、いつもちょこまかして落ち着きのない「ビョウシン」もいた)。時計の短針は、文字盤を毎日きっちり二周りするけれど、だからといって絶対に三周目に取り掛かろうとはしない。「タンシン」というあだ名には、糞真面目で融通がきかない杓子定規な僕への嘲りも込められていたのかもしれない。でもどんなに律儀な時計だって、電池切れになればもう時を刻むことはない。きっと僕の教会通いも、夏休み中には終了するはずだ。
 オルガンが、厳かというには程遠い音色で鳴りはじめた。(今日も僕だけか。)讃美歌集を繰りながら立ち上がる。ちょうど前奏が終わろうかという時、女の子がひとり僕の右隣に駆け寄ってきた。清水さんだ。遅れて来て、ずかずかと前方にいる女の子たちのところまで歩いてゆく勇気は持ち合わせていなかったのだろう。「おはよう」と言うかわりにちらっと僕を見ると、彼女は讃美歌集を手に取った。僕は「おはよう」と言うかわりに、手にしていた讃美歌集を彼女のほうに向けて、何番を歌うのか教えてあげた。駅から走ってきたのだろう、少し息が弾んでいる。それを静めるように歌いだした清水さんの歌声は、オルガンの伴奏が邪魔なほど小さかったけれど、びっくりするくらい美しかった。彼女の歌声を聞けば、低血圧の神様だって爽快な朝を迎えることができるにちがいない。
 そういえば下校時に一度、清水さんと同じ車両に乗り合わせたことがあった。ひとりきりで車両の隅に座っていた彼女と目が合って、僕は正直困ったなあと思った。教会で男子生徒と女子生徒がそんなに親しく話をすることはなかったし、きっと彼女も困惑していたはずだ。でも二駅、十分弱の間だ。僕は、つとめて明るく声を掛けると隣に座った。彼女が通う女子校の制服は知っていたけれど、彼女の制服姿を見るのは初めてだった。教会で他の女子生徒と一緒にいる彼女は、どこか居心地が悪そうな感じに見えたけれど、こうして窓の外を流れる景色をじっと見つめている彼女も、まるでここではない何処かにあるはずの自分の居場所をさがしているように見えた。そんな清水さんに、僕は以前から親近感に近いものをちょっぴり感じていた。ほとんど会話らしい会話なんてしなかったと思う。時々僕の顔を見る彼女の大きな瞳だけが印象に残っていた。
 「さあ、祈りましょう」
 牧師の説教が終わった。僕は、手を組んで目を閉じる。牧師の祈りはいつも、まるで神様に懺悔か言い訳をしているようで、おまけに説教と区別がつかないほど長い。目を開けて、そっと清水さんの横顔を見る。
 (目が大きい人は瞼も大きいんだあ。)
 自分の目の前で女性が目を閉じるなんてシチュエーションに、これまで一度も遭遇したことがなかった僕は、太古からこの世界を支配している普遍の真理を発見したような心持ちになった。目を閉じてうつむく彼女は何を祈っているのだろう。
 「アーメン」
 いつもより牧師の祈りが短く感じられた。牧師に続いて清水さんが小さく「アーメン」とつぶやき、そっと目を開ける。僕は、あわてて前を向いた。
 喜んでいるんだか悲しんでいるんだか知らないけれど、あいかわらず蝉は束になって鳴いている。



「色紙2003&歌の栞」に寄せて  伊波虎英(いなみとらえい)(旧・神崎ハルミ)

 昨年の5月から始まり、改名前の4月に完結する予定だったみの虫さんとのコラボレーション企画「色紙2003&歌の栞」を、ようやくこうして完結することができました。ご覧いただいた皆様、本当にありがとうございました。
 毎回、みの虫さんがどのような短歌作品を選んでくるのか、ドキドキわくわくしながらの12回でした。単なる鑑賞文でないことはもちろん、何よりも与えられた1首からイメージをふくらませながら、短歌作品と即かず離れずの程よい距離感を保った文章を綴るということを心がけてきました。毎回苦労の連続でしたけれど、詩、エッセイ、ショートストーリー風というように、様々なスタイルで自由に書かせてもらえたおかげで、なんとか最後までやり遂げることができました。僕の想像力を掻き立ててくれた短歌作品と作者の皆様に感謝します。
 最終回の歌は僕自身の歌で、自分の歌からイメージをふくらませて、文章を綴るというのは正直ちょっと戸惑いました。この歌は、枡野浩一さんが運営していた < 付け句掲示板 > に投稿した歌で、「恋ってなんかそういう感じ」というあらかじめ決められた下の句に上の句を付けたものです。言ってみればコラボレーションで生まれた1首です。この歌自体にそれほど思い入れはなかったので、なぜ、みの虫さんがこの歌を取り上げたのかちょっと不思議だったんですけど、そういう意味ではこの企画の最後を締めくくるに相応しい歌だったのかもしれません。
 「色紙2003&歌の栞」というコラボレーションは終了しましたけど、みの虫さんも僕もそれぞれの方法でこれからも表現活動を続けていきます。それがひとりきりの孤独な作業であったとしても、自分の感性に引っかかったモノ、表現に掬い取る対象とのコラボレーションであることにはちがいありません。これからも素敵なコラボレーションを展開していけるよう、自分自身の感性を磨いていきたいと思います。
 最後に、素敵な企画に誘ってくださり、いろいろと辛抱強くアドバイスしてくださったみの虫さん、どうもありがとうございました。


 つまらない時、こころ踊る時、こころ静かな時、こころ荒ぶる時、かなしい時、ふっとこのページを開いてみたくなる、そんなぺージに仕上がっていれば幸いです。(了)みの虫





伊波虎英(いなみとらえい)(旧・神崎ハルミ) さんのホームページ

◆翼よりも虹色細胞を 〜レインボー・セル :
http://www8.plala.or.jp/haru3-kan/


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