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 菊池正義氏制作      
学生の時に、高田馬場にあった東京ミックで購入したものです。
ギター音楽研究会なるサークルに入っていたのですが、
3年生時の演奏会にさすがに2万円のヤマハギターではダメだろうと言うことで
友人の西村君と見に行って買いました。
仕送りの身でしたが、運よく返済不要の奨学金が入り…
5,6年前、階段でこけて側面に30p程の亀裂が入ってしまったのですが、
一週間後に演奏会を控えており、やむを得ず木工ボンドでくっつけて今に至っております。
 

   
     
 ヘルマン・ハウザーU世 ロメロモデルNo.996      
  ドイツの王道ヘルマン・ハウザーU世を紹介。
購入したきっかけは、1台目のフリーソン84年製が調整の際に破損してしまって、
良い楽器を探していました。楽器屋さんから連絡があり、
凄く良い楽器があると連絡があり仲介していただいて1986年ハウザーV世から購入。1975年製で、珍しいロメロモデル。
セレドニオ・ロメロさんが、注文し(多分予備楽器)ハウザーV世がずっとストックしていた物です。No.996、サウンドホール下の力木は真っ直ぐではなく、
ややカーブしている(両端が上)、
扇形で、下開きの5本。表面板は松、裏横は正目のハカランダ材でできています。
N田先輩が、打ち上げの時「ハウザーをしっかり弾けるようになりなさい」って言ってましたっけ。
低音の凄みというか初めてこの楽器を弾いたとき、ピアノみたいな重量感のある低音、クリアだけれど、甘い音も出る高音。素晴らしい楽器です。ただ、この楽器も張力がきつい、今は大分良い音がだせるようになりましたヨ!亡くなったのは88年だけれど、
脳梗塞の影響で、手が不自由になってしまったようで、80年頃に工房をV世に譲ったようです。 

ハウザーU世
   
マティアス・ダマン1993年製       
   
彼はもともとギタリストで、自分の為に楽器を作ったのが、
製作家になったきっかけだそうです。マヌエル・バルエコさんや、
デービッド・ラッセルさんが使用しだしたことで、一気に有名になり
、日本で手に入れるのは難しいと思っていました。

 バルエコさんがダマンを弾きだしたきっかけは、
バルエコさんのマスタークラスにダマンさんが出席。
やたら良い音で弾く生徒さんがいて、「君の楽器は何?」
っと聞いたら「自作です」と答え、交流が始まりました。
そして、1993年からコンサートで使用されるようになりました。
表面板はダブルトップといって、3層構造になっており
、重量も非常に軽く作られています。
私の楽器は現在流行りのノーメックスを挟んだ物ではなく、
2層目は格子上にくり抜かれた杉材でできており(中空、X線で撮影して確認済み)
、力木の配置は扇状ではなく、平行で5本です。
第1世代のダブルトップと言われるタイプです。
ちなみに、ゲルノット・ワーグナーさんと友人関係にあり、
ノーメックスを挟み込むアイデアは、ワーグナーさんの発案だそうです。
1995年から第2世代、2層目がデュポン製ノーメックス(カーボン製ハニカム構造)
になり、今現在色々な製作家がこれに追随しています。そして、2013年から第3世代になり
、ノーメックスを止めて、また新しい構造になっているようです。







セミレイズドフィンガーボード 高音が押さえやすい
   
 河野 賢 1968年      
   この河野ギターはY先生に君が弾きなさいと言われた河野ギターです。
バランスがとても良いです。音色もこれが河野の音なのかなぁと思っています。
スペインの枯れたとかシブイと云うのではなく濡れた艶っぽい?なんていうのでしょう?
なんせ50年選手ですからサドルとか
フレットとかペグなどイジリたくて仕方ありませんでした。
そこで この工具の登場です。
おかげでピカピカになりました。



     集めた工具です。
左上の赤いのは万力 あとはノギス・ヤスリ・三角ヤスリ・弦の溝切りヤスリ
サドルの溝ヤスリなど・・・取り替えたペグも見えます。
機会があったらサンダー・マルノコ・スコヤなど紹介します(自作スピーカの為に集めました)
   
     
 河野ギター 1979年
   

このギターは、ギターを始めて4年目に河野さんに
直接注文して製作してもらった楽器です。
製作期間は半年くらいだったか、左手の人差し指の故障もあって、
左手の手形(おすもうさんみたい!)を送って作ってもらいました。
ネックも通常の物より薄く、幅も2mm程度短いです。
私のギター選びはこの河野ギターをメインに、
必ず新しい楽器と弾き比べをしたりして選んできました。
最初の6年間で2回フレットを交換して、現在に至っています。
私は、ギターの管理も上手みたいで、まだ新品同様です。

調整の時、池袋の工房にお邪魔した際に
、河野さんにも誉められた経験がありますよ!(エヘン!!)




話は変わって、
楽器紹介番外編1、大学1年の時購入した石川捷二郎作S6[エンベルガーモデル」
N田先輩に話したら、「マンドリンだって本物を買いなさい」と叱られてしまった。
でも購入時私19歳それでも30万もした記憶が、、。
ケース開けたらまだ弦が切れていませんでした。
マンドリン3台所有のうちの1本です。1977年製。
このマンドリンで大学では、コンマスをつとめました。
(笑)かおるネーサンごめんなさい、
やっぱり、ギターの方が好きです!!!
   
河野ギター 1978年       
  保証書の裏面を見ると780120とあるので、
河野ギター製作所で78年に120番目に
手がけたギターかもしれません。
当時、大学4年の定演で魔笛を弾くために、
祖母の軍人遺族年金とお茶のバイトで貯めたお金をつ
ぎ込んで購入しました。
大学卒業後は、弾いたり弾かなかったりで、
全く弾かなかった期間が20年間程あり、
そのときは、屋根裏で弦もはりっぱなしで
ケースの中に放置したままでした。
屋根裏は、過酷な温度環境
だったろうに、割れることなく、もってくれて
、ギターに大変感謝しています。
約10年前から、ぼちぼちと再開しました。
今後は、ギターの持つ良さを引き出すために精進して
いきたいと思います。
   



 イグナシオ・フレタ
 
上が1994年製、下が1992年製
     
   私は最初のフレタを購入する直前までフレタに興味なかったのです。
「自分のタッチはすでに良いタッチで音は美音だ」と思いあがっていました。
ところが自分のタッチはまったくだめで、楽器の持つ本当の音・楽器の
個性を少しも引き出せてなかったと気づかせてくれたのが
1本目のフレタ(1994年製)だったのです。
その頃自分が楽器店で弾いたフレタはいつ弾いても、
どのフレタを弾いても良いと思う音がしなかったのです。
だから「フレタって有名だけど高いだけの楽器なんだ。
ラミレスの方が断然よい音がする・・・・」って思っていました(あ〜はずかしい)。
あるときいつも行く楽器店でいつものようにフレタを試奏していたとき、
当時東京国際の二次審査員をされていたS氏が「ちょっと貸してごらん」
と言って演奏してくださったときのあまりにも美しい音に驚嘆して
『あ、フレタって本当はこんなにも美しく響く楽器だったんだ』と衝撃を受け、
そのまま迷わずその楽器を手に静岡へ帰りました。
これが1本目のフレタとの出会いです。
だからフレタは「自分の下手さに気づかせてくれた恩人」なのです。
その直後のレッスンでその楽器を持っていったところ師匠曰く「自分が今まで弾
いた楽器のベスト3に入る」とおっしゃった事を良く覚えています。2002年12月の
ことでした。
そのあとはどうやったらフレタの本当の音が出せるかともがく、苦しい修行の日
々でした(オーバーだけどほんとに)。
これが衝撃のフレタ購入秘話です。
   
 

マーチン・フリーソン 1982年
     
   大学を卒業してから、診療と学業(大学院生)が忙しくなってはいましたが、
ギター熱は醒めておらず、1984年の大学卒業時に自分へのご褒美として、
84年製の松のマーチン・フリーソンを購入しました。
この楽器は、その当時ジョン・ウィリアムスが使用しだしたことで、
少しずつ有名になりかけていました。ネックも細く、弦間も40mmと狭く、
まったく調整せず手にフィット「kinさんと同じ東京ミックで購入」。
2年弾きこみ、もうフレットがだめになるまで弾き込んで、
河野の50号といっしょに河○さんの工房にフレット交換を依頼しました。
ところが、調整の時にアクシデントがフリーソンに起こって、
楽器が壊れてしまいました「凄く悲しかった」。
それで良い楽器をさがしている時に出会った楽器が以前紹介したハウザーU世です。
ハウザーを弾きだして半年くらい経つと、ミックから連絡があり、
フリーソンを所有している方が楽器を手放しても良いとのことで、
紹介していただいて、今現在も所有している1982年製の
マーチン・フリーソンを所有する事になりました。
1986年の事で、フリーソンは喉頭癌ですでに亡くなっていて、新品は手にはいりません。
今所有の楽器は、中古でしたが、新品と変わらない綺麗な楽器です。
表面板は松、裏、横板は、インディアンローズウッド、
弦長650mm。弦はEDCがプロアルテEXP45のコーティング弦、
Bはハナバッハカーボン弦、A@がハナバッハ青ハイテンションです。
現在は1回フレット交換して今に至っています。