2004年3月の徒然日記

04/03/31 (水)
 三月が終わってしまった。


04/03/30 (火)
 高校野球選抜試合、日本のプロ野球の試合、米メジャーリーグの日本での試合と、一日中野球試合を放映している。衛星放送しか入らない所で、野球放送が番組を占拠しておればたまったものではない。
 メジャーリーガーの放送は、日本人が活躍するからであることは言うまでもないが、野球に限らず、いろいろな分野で活躍している人は多い。それらの人たちに関する報道を、毎日毎日放映して欲しい。そうすれば、日本人の「希望」となり、若い人たちの励みにもなるように思う。
 


04/03/29 (月)
 小屋の前の林道の行き当たりに設置していた水道の貯水タンク工事は一年半もかかっていたが、ようやく今期で終わるらしい。最後の仕事が電気と電話工事らしいが、電柱2本分の配線を残すだけとなった。 
 林道に沿って基本的には30〜50m間隔に電柱が建てられているが、一箇所は150mの間隔のところがある。そこをどのように電線を張るのか見たかったのに、残念ながら見ることが出来なかった。工事屋さんに聞くと、釣りに使う投げ竿を使って、先ずテグスを張るのだそうだ。上方から下に向かって投げるので、150mの距離は一回の投げでテグスを張ることが出来たと言う。電柱間に張られたテグスを伝って、紐→ワイヤー→電線を張ったと言う。ひも付きの鉄砲・ロケット・ヘリ等はTVで見たことがあるが、最も簡単な方法としての海釣り用の投げ竿とは想像していなかった。
 アマチュア無線の短波用アンテナ線(ダイポール)のフルサイズワイヤーを張るときに、釣り竿方式は活用できそうだ。


04/03/28 (日)
 サマワで自衛隊による給水支援活動がやっと始まった。浄化装置と給水車による支援活動に変る恒久的な浄化設備の設置に対しては、どうする積りなのだろうか。日本がモタモタしている間に、オランダや米国が恒久設備の取り付けをしてしまうようなことがあれば、自衛隊による支援活動は、意味がなくなってしまう。日本が迅速に対応出来るような仕組みの改善が必要なのではないか。


04/03/27 (土)
 久しぶりに良い天気になった。
 早朝は、ウグイスが二箇所でさえずっていた。この時期になると、ウグイスの声はウグイスらしく聞こえる。


04/03/26 (金)
 尖閣諸島の魚釣島への中国人の不法侵入。日本の対応のなんと甘いことか。日本政府は、あたかも中国の言い分に正当性があるがごときの対応をしているとしか思えない。 

 中国は再度上陸を計画しているという。もし、魚釣島に再上陸をなされたとすれば、全世界に日本の馬鹿さ加減をさらけ出し、中国には、彼らの主張を認めたからこそ日本が弱腰だと思わせることになってしまうのではないか。日本は自衛艦を派遣してでも、先ず中国船の領海侵犯を防ぐ必要がある。魚釣島への不法侵犯以前の問題だ。
 北朝鮮の工作員が日本に不法侵入し、日本国民を拉致したのにもかかわらず無策であったこと/北朝鮮の工作船のスピードに追いつけなかったこと/今回のように、中国人が日本領土に不法侵入した後で逮捕したことなどは、日本国の安全に対する一連の共通問題ではないか。 しかし、それらを解決せずして北朝鮮からのミサイル攻撃が怖いとその防衛網を云々している。手漕ぎのボートを捕捉出来ないのに、ミサイルなんか捕まえれる筈が無い。
 更におかしいのは、不法侵入を防げないのに、自衛隊をイラクに派遣していることである。イラク派遣するよりも、自分の国を守るための自衛隊を適切な場所に配置することが必要ではないか。
 
 「中国の主張はわかった」、しかしながら「魚釣島は△△の通り、日本の領土だ、今更何を言っているの」/「ロシアの言い分はわかった」、しかしながら「北方領土は日露戦争の前から、日本の領土だ。第二次大戦でロシアが不法占拠したのだから、返還するのが当たり前だ、居座りではないか」と堂々と主張すればよい。わかったと言うのは、相手の言葉がわかり、言っていることが理解出来たと言うことであり、了解した・承知したとは違う。 
 しかしながらの後は、自分の主張の出番となる。なんでもかんでも述べないといけない。
なぜならば相手は、ごり押しの主張をしているのだから、それに負けないだけの主張が必要なのである。日本政府は、逮捕した不法侵入した中国の人たちをそのまま強制送還し、冷静な解決を対話で行うと言うが、この時点で既に負けを認めてしまったとか思えない。そして、どんどん相手のペースに嵌ってしまうのである。

 日本人は
「わかった=understand 」「了解した=agree」をごちゃ混ぜに使っているために、論議が下手、そして何を考えているのかわからないと言われているのではないだろうか。相手の意見を聞き・言っていることを理解すれば「わかった」と素直に言えば良い。その後に、自分の主張を堂々と述べれば良い・述べなければいけない。 その結果、お互いの主張の違いが明確になり、論議の緒につくことが出来る。 このような展開が世界の常識であるように思うが、日本の「根回しの習慣」をもって是としているために、そして相手がその習慣がないにもかかわらず、変え様としない。これでは、世界のリーダーにもなれないし、国際政治で勝てるわけはない。


04/03/25 (木)
 鳳来町川売(かおれ)という所へ、梅の花を見に行った。当地は、渓流釣りをしていたときにそばを通ったときはあるが、この時期に訪れたのははじめてである。満開の時期は既に過ぎていたようではあるが、聞いていたよりも見事な風景だった。写真は、Trekkingのページの「鳳来町川売」に記載した。
 暇な人は自分だけでないようで、写真家も多く来ており、また6名のおばさん達がかたまって水彩画と油絵を描いていたが、彼女達は「手を動かすよりも口を動かしていた」と言った方が良いように見えたので、果たして、本日の成果はあったのだろうかと、私は心配している。


04/03/25 (木)
 国会議員の秘書になれる資格に制約が出来たらしい。規制をすることで「国会議員の詐欺」減ると思っているらしい。
 不祥事は、秘書の問題でなく議員そのものにあると思われるのに、議員のモラルそのものにメスを入れずして、何が改善できると思っているのだろうか。この法案は代議士そのものが、自分のモラル改善に対する避難を隠すためのものとしか思えない。即ち、国民に “最もだと思わせるためのトカゲの尻尾の策” ではないか。

 ある暴露記事専門の雑誌記者が、新聞・TV等のマスメディアはわかっていても言えない世の中だと言っていたが、私もそのとおりだと思っている。マスコミは下を向いて仕事をしていないのではないかと常日頃思っている、即ち、お上の方を見て記事を作成しているからのではないか。 


04/03/23 (火)
 新城市にある、大木の山桜が満開になった。この大木は、毎年他の開花よりも一週間ほど早いので、よく目立つ。家の庭にもボケ・パンジーなどの花が咲き始め、神米木のつぼみが膨らんできた。いよいよ春になって来たことが感じられる。


04/03/22 (月)
今の携帯電話は一年半使用しているので、そろそろ新しいタイプの物が欲しくなった。販売店に行くと、いろいろ新しい、画面が大きく・きれいなものがいっぱい展示してあるので驚く。
暇に任せて片っ端から調べていくと、デジタルカメラ付き/ラジオ付き/TV付きのものまである。自分には電話機能だけがあれば良いから、いろいろに付属機能はいらないのに、お構い無しのようだ。
 その値段の付け方も腑に落ちない。新しい機能の機種のものが、電話番号を変えれば只になるのに、従来の電話番号を引き継ぐとなると7,000円もとられるとの事。メール契約をすると安くなるとも言う。なんの事ぞ。逆ではないか。使いもしない機能はいらない。加えて、クレジットカードを新規に作ると安くなるとは何事だ。
 コチトラ、操作方法もわからないだけでなく、文字盤を見るにも苦労しているからこそ、新しい機種がほしいと思っているのに、使いもしないゴチャゴチャ機能の付いた電話機が高価になっているのはおかしいのではないか。


04/03/18 (木)
 朝は強風と激しい雨。午後になって良い天気になった。
 小屋の周辺の花はまだ咲かないが、梅の花は咲きそろってきた。桜はまだつぼみが小さい。もみじもまだ芽吹かない。後二三週間すれば桜は満開になるだろう。更に一ヶ月もたてば、緑も多くなる。写真は、左手が咲き始めた梅の花である。手前の池は、絶滅しそうなメダカの養殖をするために作ったものである。メダカ、タガメ、ヤゴ、イモリ、その他小さな生き物が住着いている。この池には、氷のはった時期に、お玉じゃくしがいることがわかったのは驚きだ。夏には水草やスイレンの花が咲く。右手の畑の囲いは、イノシシよけである。まだ芽吹いていない木は、スモモ、栗、桜、柿などであるが、それらも少し芽吹きが始まった。


04/03/17 (火)
 朝はだいぶ冷えていたのでコートを着てきたが、コートを着て駅の階段を登ると暑いくらいの気温になってしまった。
 時々新幹線で神戸を通ることがあるが、新神戸駅の前後のトンネルの中は、特に気持ちが落ち着かなくなってしまう。阪神震災の時に、トンネルの内壁が落下したと聞いているからである。
 豊橋駅から新神戸までと新大阪駅までの新幹線特急券代金は同じである。距離的にはだいぶあると思われるので、私には、「神戸トンネルは怖いと思っている乗客がおられるようだから新大阪と新神戸の間の特急券代は無料」としているのではないかと考えている。
 私は、新神戸に行くときは、トンネルが怖いために、時間の許す限り新大阪で下車することにし、JR西のトンネルサービスの恩恵は受けないことにしていた。スペインでの列車テロの事件が起きてからは、日本で新幹線テロが起こされたらと考えると、トンネルだけでなく、新幹線そのものが怖い乗り物と思うようになってしまった。 皆さん平気な顔をして乗っているようだが、不思議でならない。


04/03/15 (月)
 5時に小屋を出て、新幹線で神戸まで来た。九時過ぎからの仕事ができるのは、新幹線のお陰だ。
 夜ホテルのインターネット無料サービスを使ってメールチェックをすることとした。 部屋にある説明書通りの設定をしてジャックを繋ぎ、いざ接続をしようとすると、パソコンから「発信音が出ない」とメッセージが出る。電話機のモジュラージャックを外して自分のパソコンに繋ぎ再度試みるが同じだ。無料サービスをあきらめ、今度は自分のアクセスポイントを使っての接続を試みるが、またまた同じ結果が出てしまう。 このようなことは時々経験した話だから、慌てる必要は無い。 結局、ホテルの電話機を使って「ゼロ発信」をしてから、プロバイターの電話番号をパソコンから送ることで接続に成功した。 これは、パソコンから送られる「最初の番号」が、ホテルの電話回線が認識できないことによるらしい。 気を良くして、ホテルの無料サービスの電話番号に対して同じような試みをしたが残念ながら成功しなかった。
 ネットへの接続では何時も苦労している。 中国のホテルでは苦労した思い出がある。 同じホテルで、部屋を替えただけで、「ゼロ発信」をマニュアル操作しないと繋がらなくなってしまったのである。それを知らず、自分の設定がおかしいのかと二晩もの間、パソコンを弄ったがわからない/ホテルで聞いてもわからない/電話機を交換したり/モジュラー線を買ってきたりしたが何も解決しない。以前に住んだ部屋でテストすると問題なく繋がる。原因がわからないので電話局の人に来てもらい、「ゼロ発信」をマニュアルで行うことを教えてもらった。 (しかも、これらの対応を中国語で行うのだからたまったものではない)  以降、出張するときは、必ずモジュラー線と分岐を持ち歩くことにしている。


04/03/14 (日)
 卒業式に出席した。学校の卒業式ではなく、私が勤めていた会社を卒業=退職する人を祝う会である。 卒業式と称して、「ある課」の昔のメンバーが年一度集まるのであるが、一番の先輩が75歳であり合計20名ほどの人たちが集まってきた。
 私が入社したときは、一番の先輩が課長の時だった。その課長の部下だった人たちが、一堂に集まったのだ。従って、メンバーはずっとそのままで引き継がれていることになる。但し、何人かの人は、残念ながら人生を卒業してしまったので、数人減少している。年に1度ではあるが、日ごろご無沙汰していた人たちと楽しく過ごすことができる「卒業式」だ。

 私が入社したのは、ずっと昔のことではあるが、未だにこのような会合が開かれていることは、得意なことであろうし、今尚、先輩諸氏にいろいろ教えてもらっていることになる。


04/03/13 (土)
 徒然日記を書く気になれなかった。


04/03/12 (金)
 神戸へ日帰りで仕事。 神戸には時々出かけるチャンスはあるが、何時も短時間しか滞在しない。 一度ゆっくりと見物したい所だ。


04/03/11 (木)
 ロードオブザリングを観る。時々ニュージーランドの美しい自然が出てくるのはすばらしいが、CGの画像と合体しているので興ざめ。
 騒がれていたほど良い映画とは思えなかった、私には「ラスト侍」の方が面白かった。


04/03/10 (水)
 山小屋での生活は今日で終了。あっと言う間に過ぎてしまった、気楽で・孤独な隠遁生活だった。隠遁とは言え、人に面して長短の違いはあるが毎日会話は出来た。電話も入った。ネットも繋がったし、メールも入った。新聞はほとんど読まなかったが、TVのニュースは見た。 
 怖かったのは、山に入ったとき、5,6頭のイノシシに出あったことである。 イノシシに襲われて怪我をしたらどうなるのかと考えると、なぜか一人で生活することに不安を感じたのだ。
 面白い話もある。竹炭用釜の空気遮蔽板の材料を1.5kmほど離れた所にある鉄工所で調達した。村人から鉄工所があると聞いたので、早速尋ねることにした。尋ねてみると、社長さん家族は私のことを知っていたようだが、私は初めて会った人である。いろいろ話してみると、なんと、我が家の隣に家を新築した人ではないか。隣と言っても200M程も離れているが、何時もその横を素通りしている。 驚いたのは、そんなことではない。ど田舎のイノシシが出るような所の家内工業とも言える鉄工所には、溶接ロボットが4台も据え付けられており、それらを社長の奥さんやお袋さんたちが稼動させているのだ。 勿論、社長がロボットのティチングーなどをしているのではあるが、およそ機械工業とは関係の無いような離れた山の中で、溶接ロボットが稼動していたことに驚いた次第。 
 私が現役の頃、そのようなロボットの導入、ティチング・稼働率向上のために苦労したことがある。 ロボットのオペレーターは、溶接資格のあるいっぱしの技術者だったのに、ここでは「いわゆる町工場のかみさんとおばあさん」だ。

 竹炭釜の材料を小屋のある部落で調達したお陰で、また一人知人が増え、ロボットを有効稼動させている工場を久しぶりに見た。今まで小屋を作る時の材料などは、全て自分の住む町やその隣町で調達して持ち込んでいたことが考えさせられる体験だった。 


04/03/09 (火)
 今日は気持ちの良い天候だった。朝から外で動いていた。肩や腰が痛くなるだろうが、我慢をして数日働けばその後は痛くなくなるはずだ。  


04/03/08 (月)
 佐藤元自治相が逮捕された。悲しい話である。
 佐藤さんが、国から支給される秘書給与を横流ししていたことは悪いが、それにもまして、公設秘書というものがなぜ認められているかがわかっていなかったことに腹が立つ。つい先ほどには、誰かさんの執行猶予付きの判決が出たばかりだ。時期的には2000年の不祥事だから同じ時期とは言えるが、誰かさんの秘書名義借り問題がでてからも一年以上も継続していたらしい。
 そもそも、代議士は自分の政策を立案し具体化するのが任務である。それを手助けするために秘書を雇用するための給与を税金から支給しているはずだ。 罪は「秘書を雇わなかったこと」が第一であり、次に「詐欺」をしたことである。

 国会討論を聞いていると、余りにもプア‐な展開が多いことにあきれる。全代議士が同じではないが、なぜもっと広い見地から検討しないのかと思うことがある。彼らの秘書の仕事とブレーンの役割が違うので、秘書を雇わないからと言って政索が立案できないとは言えないが、ブレーンの役割まで出きる秘書を雇用すれば、更に高度な調査や作戦の展開ができるはずである。秘書の権限を逸脱しているとは誰も言わないだろう。
 私は、秘書給与をだまし取る罪は国会議員のモラルの問題であるが、秘書の役割を認識できず、雇わなかった罪は契約違反と思う。両者の罪を認識出来ないで、低レベルな議論を繰り返している代議士は淘汰されるべきだと思っている。このような代議士が論議を繰り返している限り、何時までたっても「善政」は期待出来ない。
 
 今、国会の決算委員会質疑を聞いている。日本の食料の自給率を拡大することは悪いことではない。食料の自給率に的を絞れば、なるほどとうなずける。しかし、議論している人たちは、他の国々と比較して自給率が低いと言っており、主張では「日本の自給率拡大が目標であり、それを実現するために何を計画する」かは具体的には何も述べていない。食料生産者に補助金を出せと言うだけである。中国ではスーパーで精米1kgが10円から30円で売られていること、日本の農業や畜産業は他の生産国と違う方法で行われていること、食料だけでなく、他の資源やエネルギーも無いことを知っているのだろうか。知っておるからこそ、全部を総括して「計画」が言えないのかも知れない。
 今日の決算委員会では、オイルが無ければ、薪で調理すればよいという人がいなかっただけでも、国会は大きく進歩したのか。


04/03/07 (日)
 朝から竹炭を焼くための釜の本体を作っていた。本体は完了したが、まだ焚き口が残っている。後一日頑張れば全部が完成するだろう。
 なにせ、金をかけずに作ろうとするものだから、材料集めやその加工に時間がかかる。釜の大きさは丁度ドラム缶の大きさであるが、本体は貰ってきたステンレスの水タンクの片方の鏡板を切断し、後ろ鏡には煙突用の穴をあけた。焚き口の方は、空気遮断が必要なので、6mmの厚さの鉄板を調達し、本体にはめ込んだ。鉄板の熱による変形防止のためにチャンネル材で額縁を作製して、溶接。空気遮断板は、鉄板に型材を溶接することとしたが、釜を燃やすと熱による変形があるだろうから、長持ちはしないだろう。 マンホールの鋳物の蓋を捜しているが、まだ手に入らない。
 この空気遮断板にあける火の通る開口部のサイズと位置のノウハウは、先生に教えて貰った。 私の担当は、軽量で、変形が少なく、そして釜本体にセットしたときに、釜を密封できる構造にすることであり、アイデアが必要だ。 セラミックの耐熱防火材を使うと一挙に解決できることがわかったが、メーカーの最小販売量を調べると、炭焼き釜を4〜5個も作らないと材料が余ってしまうので購入しないことにした。 
 昨年夏頃から、暇に任せて釜の寸法と材料を検討して来た。どうせ作るならば、炭焼きと陶芸用の釜本体を共通化できないかと、素人なりに考えた図面まで作った。そのとき使用しようとした材料が、耐熱・耐火材であり、メーカーからそれらの材料性能等のデータを送ってもらった。新しい材料を使うと、面白い形状の釜・作業性の良い釜・効率の良い釜・軽四車で出張炭焼きが可能な釜など、いろいろな釜が簡単に出来そうだが、製作費用は、趣味の範囲を超える。
 
 趣味で釜を作り、そして竹炭を焼こうとしているのだから、いろいろなことを考え、苦労して材料を集め、腰が痛くなるほど働き、そして時には失敗する。竹炭を焼く時間がとれないのに、近い将来にはインターネットを使って炭を販売し、小遣い稼ぎが出来ないかとたくらんでいる。楽しいですよ。


04/03/06 (土)
 オリンピックアジア予選のサッカーチームがUAEに勝った。今回の予選の前半分の三試合は全部TV観戦をしたことになる。お陰で寝不足だ。眠くなったら昼寝をすれば良い身分なので、気が楽だ。次の日本での試合は、残念ながら仕事が入っているので、全部見れないかも知れないと、今から心配している。ガンパレ日本。

 オリンビックの野球チームの監督の脳梗塞で入院は、あれほど元気な人が突然の発病であり驚いている。長島さんの功績は、オリンピックチーム編成とフォー・ザ・フラッグを選手にも国民にも植え付けたことにあるように思うが、一日も早い復帰を願っている。


04/03/05 (金)
 梅の剪定が終わった。この時期の剪定は遅すぎるが、やらないよりもましと言うことで、12,3本の梅ノ木を申し訳程度に選定した。梅ノ木の下に脚立を置き、その上に乗り剪定するのだが、一本の梅を剪定するのに脚立は10回ほども動かす。その度に上り下りするので、仕事は楽ではない。 もう、小梅は満開になっているし、大梅のつぼみはだいぶ大きくなっており、既に開花したものもある。

 午後から、暖かくなったので、山歩きをしようと、林道に沿ってぶらぶら歩く。途中で簡易水道の水取り入れ口を点検したが、何も問題は無い。その後、林道を離れて、杉を伐採した所を登った。もう少しで広場に出ると思いながら上方を見ると、30bほど離れた所に、5,6頭のイノシシが居た。大きい二頭は100Kgを越すほどの大きさだ。驚いたのはこちトラなのに、イノシシはあっと言う間に、奥の方に逃げてくれたが、自分も怖くなって、そのまま下ってきた。 今までにも時々イノシシを見かけたことはあるが、今回のイノシシは特別大きい。我が農作物を食べているので太ったのかも知れないと思うと、怖さや憎さよりも、哀れみを感じた。彼らの家族は、第二東名の工事のために山が切り開かれ住むところがなくなったので、里の近くで生活をしているのだろうが、ヒノキと杉が多い山の中で餌を捜すのは大変だろうと思うと可哀想だ。

 あと10日もすれば、梅は満開になるだろうし、引き続いて桜が楽しめる。そして、山の中には山野草がきれいな花を付ける。しかし、イノシシの群れに出会うと思うと、自由に山歩きも出来なくなってしまう。


04/03/04 (木)
 我が日記には、3月3日が2日あったことになっているのが、今日になってわかった。だいぶボケているようだ。そのままにしておく。
 今週は、新聞は来ない、TVも衛星放送しか入らない、携帯電話も繋がらない所に住んでいるが、電気・電話・水・ガスがあるので、やることは幾らでもあるし、時間は過ごせる。

 昨夜、粉雪が舞ったようで、畑に霜が降りたように白くなっている。朝から晴れているのに外は寒く、また風が強いので、野良作業もやる気がしないために部屋に閉じこもっている。今日は午後から土手のフキノトウを集めてくることにしよう。


04/03/03 (水)
 国会討論を聞いている。北朝鮮埒問題の質疑応答である。この問題については、与野党関係なく、一日も早い解決をするために、何が出来るかの検討が必要と思う。
 拉致被害者の家族が、「こんなに冷たい国はない」と言ったとあるが、その通りである。 拉致そのももの存在が長く認定されていなかったし、勿論北朝鮮に対してだけでなく、日本国民に対しても、拉致問題を表沙汰にしない時期が長く続いた。今は、拉致が表沙汰になったにもかかわらず、何の手も打てない。役員は、この場に及んでも見て見ぬ振りをしている方が楽だと思っているのだろうか。他人事と思っておれば、気楽であることには違いない。 じっと待っていても北朝鮮からのお声がかりはない。 こちらから誰か押しかけて行ってもよい。それがムダとわかっていたとしても良いではないか。

 今回の六カ国会談においても、拉致問題の話題は審議していない。国連に人権問題で訴えていても、何も進展していない。
 そのため、日本政府は、新しく法整備をし、「力の外交」をちらつかせたとしても、日朝間で会話をする場もないのだから、脅迫をするための法整備とも言える。決して悪いこととは思えないが、対話のための努力をどれだけ行った/行いつつあると言うことは、何も知らされていない。
 もし、六カ国会談で何か決議が出たとしても、その後で、拉致問題解決のための日朝二カ国の継続的会議は必要となる。拉致被害者は5名の家族だけではなく、他にも400名近くの拉致された人があると言われているので、膨大な行方不明者を調査するには、膨大な時間が必要になると予測される。日本政府と国民は、何人分の消息がはっきりしたら「拉致問題の解決」になると思っているのだろうか。 
 核問題と拉致問題は、北朝鮮の言うように異なった問題(対応の仕方が異なるだけと思うが)のように思えるのに、日本は同じ土俵で決着と言っている限り、北朝鮮は、決して同じ土俵には乗らないだろう。

 拉致問題解決のための「日朝間の継続した会議の場を持つこと」が、今求められている目標であり、そのための「手段」を講じることが必要だ。この問題を北朝鮮サイドに投げかけている/北朝鮮からは何も反応がないとして、次の手立てを打っていないことに問題がある。即ち、自分が主役になって「行動に移す」ための手段を講じていない所に問題があるのではないか。

 何度もこの徒然草で述べているが、例えば、自衛隊のイラク派遣に対しては、中東の国々に説明するエネルギーよりも、極東の国々に対する説明と理解のための努力が更に必要のように思っているのに、いったいどうなっているのかわからない。 しかし、どのような外交が行われているのか、誰が主役で外交しているのかは、我々には伝わって来ない。例えば、小泉首相が、靖国神社の参拝のために、中国・韓国から拒否されている状態で、それらの国々との間では、誰が・何を・何時外交をしているのだろうか。事が起きたとき、誰かがその対応に出かけているだけの様に思える。
 
 すべてが同じような展開であるから、何時まで経っても、世界の主役にはなれないし、第二次大戦の後始末も出来ていない状態が続く。勿論北朝鮮との間の関係も同じだ。


04/03/03 (水)
 今日も冷える。薄氷が張っているが、朝から晴れているので、日が当たるところはそれほど冷たいとは感じなくなってきた。
 海に釣りに行きたいと思っているので、道具は準備したのに、この気温では、指がかじかみ餌を付けるのが大変だろうから、暖かくなるまで待機することにした。
 この地方の渓流釣りは解禁になったが、渓流釣りも面白い。この時期の道路は凍っていることがあるし、今日のように寒い時は、岩の上に乗ると、長靴の底がニチャニチャする。長靴の底(フエルトが付いているので)が岩に凍りつくのである。勿論、厚い防寒着と手袋も付けているが、指先だけはどうしようもない。  
 私が渓流釣りを止めたのは、細い釣り糸が見えなくなってしまったからである。渓流釣りを止めてからは、海では投げ釣りを止め、脈釣りしかやってない。従って、釣り方は渓流も海も釣り方は同じと言えるが、海のポイントは広いので多少違ったところに餌が飛んで行っても気にしなくても良い。道糸は波、天候、明るさによって見にくい場合があるが、そのような時は、米粒より少し大きいくらいの素通し目印を付ければよい。とくに夕暮れで、道糸が完全に見えない時の目印は重宝だ。 素通しの目印に、小さい光が取り付けれれば、暗くなってからの釣りも可能になるので、小さい電気浮きを試作しようとしたこともあったが、夜釣りをする元気がなくなってしまった。


04/03/02 (火)
確定申告をした。申告書の記入用紙を読んでも理解できないので、税務署の出張サービスに出かけて、書類を作成してもらった。待ち時間が約一時間、書類作成にはたったの5分程度だった。私のような小額収入者には、関係する書類が少ない。たった3枚、即ち源泉徴収票、年金証書、生命保険証書だから、記入は最も少ない方だろう。収入も少なくなったが、税金はゼロに近くなってしまった。 お陰で、税金の還元があるので、小遣いが増えたが、なぜか寂しい気分だ。


04/03/01 (月)
 今年初めてのウグイスの声を聞く。まだ旨く声が出ていないが、それでもウグイスと直ぐにわかる。
 どんどん上達して、後一ヶ月もしないうちに完全なウグイス独特の声を出すことが出来るようになるだろう。最盛期には、小屋の周辺で同時に3〜4羽が鳴くようになるが、一匹ぐらい違う鳴き方で、ホーホケキョでなく、ジャジャジャァジャンと自己主張をするウグイスが居てもいいように思うが、そのようなウグイスに出会ったことがない。
山の小屋ではいろいろな鳥の姿や鳴き声を楽しむことが出来る。まだ寒いので、それほど鳴き声は聞こえないが、メジロ、ヤマガラなどは群れをなしている。カラスもトビも来る。サギが来て、メダカの繁殖用に作った池を荒らしている。坪庭に埋けた壷の金魚は一匹もいなくなってしまった。後一ヶ月もしない間に、にぎやかになるだろうが、山の裏側にある鶏舎の鶏は鳥インフルエンザに感染していないか心配もしている。