2001年度へ | 徒然日記 |
2001/June
01/06/30(Sun.)
路面電車に乗って星海公園へ行った。市街を外れると路面電車は専用線を走るので安心して乗っておれる。ここもまた開発されており、入場券まで必要になってしまった。
渤海湾に面した公園内の防波堤で魚釣りをしている人と親しくなった。幸いにして筆談は出来る。2時間ほど座って見ていたが、釣れたのは10センチほどのアイナメが一匹。彼は、大きな仕掛けで浮き釣りをしているので釣れたのが不思議な位だ。次回の滞在時の七月の最終日曜日に、中日釣り競争をする事にした。勿論私が日本式で彼は中国式であるが、十月までは小物ばかりだそうだから、渓流仕掛けで挑戦すれば勝負は決ったようなものだ。
握手をして分れる時に、帽子をかぶって来いとゼスチャーで示してくれた。大連で私が会う人はすべて親切な人ばかりである。
01/06/27(Wed.)
毎日短波放送を聞いている。最近はQSBがあるものの、綺麗に入感するのでラジオは点けっぱなしにしている。日本から入る情報の源であり、中でもニュース放送はありがたい。国民が応援している田中外相を、寄ってたかって悪者にしてしまった。
日本にいたときは、毎日国会TV中継を見ていたが、だらだらとした質問/重箱の隅ばかりを突ついた質問/個人に対する攻撃など、国会議事堂という聖域の外では通用しない討議である。要領を得た効率の良い質疑応答をするように誰でも言いたくなる。
議員の多数は、国民が現内閣を支持している理由が国民の代弁をしてくれるのではないかと期待していることを認めず、旧態依然とした対応をしている。都議選で惨敗するのは当たり前であろう。
01/06/26(Tue.)
老朋友に会った。20年もの期間が過ぎていたとは思えないような再会である。
ずっと長い間再会したいと思っていた一人であった。「老朋友」とは彼のような人を言うのだろう。
01/06/25(Mon.)
大連にはマクドナルドもケンタッキーフライドチキンの店もある。しかし高価である。マック一個がタクシー初乗り3kmと同じ8元=120円もする。街の食堂で昼飯を満腹になるほど食べても20元もしないので、マックがいかに高い食べ物であるかがわかって頂けると思う。
日本のタクシー料金や交通料金は高い。大連市内のバス・市電は距離に関係無く、一元=15円である。
01/06/25(Sun.)
老虎灘と言う観光地に一人で出かけた。
ホテルを出る前に「ラオプータン」と言う発音を習ったので、地図と筆記具はウエストバックに仕舞って、電車とバスで出かけた。市電を降りて、バスの発着場を捜したがどこにも無い。ホテルのボーイは駅前にあると言ったはずなのに老虎灘行きのバス停は駅前には無いらしい。通行人に聞くと、何か教えてくれている様だがわからない。指をさしている方には大きなビルがあり、その辺にバス停があると言っているらしい。
同じような事を3度も繰り返しながら、地下道を通り、いくつも角を曲がってやっと「老虎灘」行きのバス停にたどり着いた。
帰りも同じ事を繰り返しながら無事帰宅出来ました。中国の皆さんありがとう。
また、市電に乗ると席を譲ってくれる(自分は若いつもりなのに)。国と国の間では、教科書問題で云々していることが不思議だ。
01/06/24(Sat.)
またまた日記にはご無沙汰した。大連市での1週間は短かった。
朝早くから散歩・仕事・食事と単調なことではあるが、一日が短く睡眠時間は短い。
しかも、なぜかインターネットがつながらない。回線不良は前回大連市の滞在でわかっていた事であるが、PCの設定の設定は変えていないのに、つながらないのである。しかもいろいろ設定を直した結果、Emailが何とか送れるようになったのに、1度に一つのメールしか送れない。複数のメールは同時に送れないのである。パソコンの設定が悪いのか・ローミングサービス側の問題なのかわからない。同じ設定でトライしてもエラーメッセージが違うのである。このような事に時間をとられたくない。
01/06/17(Sat.)
明日から一ヶ月の予定で中国に出張する。
かの地は日本とは国情こそ違え共通の文化と習慣を持っているので、違和感は余り感じない。言葉の壁さえなければ、表面上は容易に理解しあえるようにも思う。
01/06/10(Sun.)
最近は毎日日記が書けなくなった。日記が歯抜けになっていることは自分でも気分は良くない。
時々、友人が読んでくれているようだが、もしアクセスして頂いたらごめんなさいと言っておく。
01/06/06(Wed.)
東京六大学で女性投手が活躍しているという。勿論この活躍は「客寄せ」のための活躍であり、実際の「戦い」のための活躍でないと信じる。
広岡達郎さんの痛論独断に詳しく記述されているが、真剣な勝負の放棄に対して私も憤りを感じる。以前に、日本プロ野球オールスター戦で『イチロウ」が投手をした事とは訳が違う。
私も学生時代に、野球をやっており、晴れて西日本大会に出場する事が出来たが、28対4で屈辱的な敗退をしてしまった事を思い出した。「28対4で負けました」とは恥ずかしくて言えず、その時の選手は全員退部した。以後、野球はしても、「学生時代にやっていた・西日本大会に出た」とは、言っていない。(公開はこの日記が最初である)
今では、プロ野球でもこの程度の大差試合はあるらしい。東大と明大の皆さんをはじめ野球関係の人達およびマスコミの皆さんは「野球がショー化
されている」事が許せるのだろうか。それならばそれでも良いが、勝負とは明確に区分し、お祭り試合とすれば良い。プロレスと同じではないか。
01/06/04(Mon.)
CD-RWで作ったCDがもう1台のデスクトップで読めない事が判明した。設定をいろいろ変更しながら確認しているが旨くいかない。訳もわからない者が、条件の組合わせを変え一つづつ確認していくのを見ると、解っている人には、馬鹿な事をしていると思うであろう。
時間がどんどん経過すると共に、頭が痛くなる。はまってしまった。
01/06/01(Fri.)
衣替えの時期になったが、それほど暑くなく、乾燥した風が部屋に入るので気持ちが良い。
しかも、昔のように、首輪とひき紐をつけていないので余計に過ごしやすい毎日だ。Yシャツを着て首輪をつけていたことが遠い事のように思える。