2001年度へ | 徒然日記 |
2001/December
01/12/31(Mon.)
2001年もあと数時間。
H/Pの徒然日記をはじめから全部読んだ。いろいろあった1年だったと思う。
何はともあれ、年始のころに比べると、今の健康状態はかなり良い。結局ストレスの無い1年だったのか?
雨のち晴れ、時々嵐の1年だったのだろう。 明日からは、さらに良い年になりそうだ。
01/12/29(Sat.)
本日から、年末年始の休暇に入る企業が多いらしい。しかも遠出する人が多くなるのは、いつもの事である。
01/12/27(Wed.)
久しぶりに、日記を書いた。中断していた理由は、ホームページビルダーをPCから抜いてしまったからである。
01/12/13(Wed.)
大阪のある駅で、回数券を買い、その請求書を貰った。
またまた、回数券の購入方法がわからないので駅員に尋ねたら、わざわざ遠いところにある自販機まで案内し、彼は自販機の前でお金を受け取り、貰ったお金を自販機に入れ、ボタンを押し、しかも、出てきた回数券を収納袋に入れて渡してくれた。次に事務室に戻り、領収書を書いてくれた。
駅員さん曰く「机の前の古い機械でも回数券は発行出来るのですが、外の自販機の方が早いのですよ」。彼は、自分の机の前にある販売機を使わず、遠く離れた自販機を使った方が能率よく仕事ができるので、わざわざ寒いのに部屋を出て、私にサービスしてくれたのだ。つっけんどんな駅員が多い中、非常に快い対応をしてくれたのである。私のような田舎者にとってはありがたい事であったが、同時に、ラッシュ時だったので、駅員さんに大きな迷惑をかけたのではないかと心配した。
コンビニ・スーパーマーケット・自販機等々、店員と会話しなくてもよいシステムが拡大してきた。時には、「喋らなくても用が足せる」というメリットがあることは認めるが、「喋らないでも過ごせる」ことが、おかしな世の中にしていく原因の一つになっているのも明らかである。
合理化という名目で、店員の数を減らし、同時にその分だけのサービスまで低下させている店がある。例えば、ガソリンスタンドで店員がボケ-っとしているならば、ガラスを拭いてくれてもよいではないか/DIY店で大物の買物をしたとき、立っている店員が手伝ってくれてもよい。これらは、店のモラールによってサービスに差が出るから、悪いところには行かなくなるだけである。しかし、官公庁等は別だ。図書館員が何もすることがないならば、コピーを手伝ってくれてもよい。別地区の図書館の蔵書データを集めてくれても良い。/郵便局は時間帯によって窓口の数を変更すれば行列を作るほど待たなくてよくなる。/今流行りのハローワークはもっとひどい。相手は職が無く、生活が出来ない人と解っているのか、である。思いやりを持って対応をして欲しいものだ。
01/12/09(Sun.)
中日ドラゴンズの星野前監督が、阪神タイガースの監督に要請されているらしい。
個人的な偏見を持った見解と言われるであろうが、ますます日本のプロ野球が面白くなくなるのではないかと思う。
阪神は、万年ビリの球団である。ビリの球団の監督を一人だけ変えてビリから脱出できると思えない。監督の首をすげ替えることによって、球団としてのフロントや管理についての責任を覆い隠してしまう事をしているとしか思えない。
野村前監督は、そもそも阪神の監督を引きうける事がおかしかった。しかも、二年目も最下位であったことが判明したときに辞職すべきではないのか。3年もビリを続けたのに、なぜ球団側やファンは黙っている。若手が伸びたという成果が出たからといっても、来年は「ラス前」にしてくれると思っていたのだろうか。万年ビリの先送りそのものだ。監督の成績が悪いからという理由で辞めさせれない所に問題がある。
大リーグの面白さは、フロント・監督・選手を含めた「それぞれの責任」が明確になっており、それぞれが自分の責任を果たすために科学的・近代的な手法を用いて努力し、その結果を評価されると聞く。イチローの努力は万人が知る。新庄は今年のキャンプが最も充実していたと言う。それ以前に重要なことは、彼らには「あとが無い」のである。失敗すれば誰も見向きもしてくれないという危機感を持っているのである。日本のプロ野球には、甘さがある。そのために、何時までも過去の栄光の余韻に酔いしれることになり、世代の交代を先送りする要因になる。
01/12/08(Sat.)
皇太子ご夫妻の女のお子様の名前が「愛子」さまと命名された。
最近は読めない名前の子供が多いようだが、また、昔流行っていたような名前が増えてくるとよい。漢字を当て字ならばまだ救われるようにも思うが、漢字の意味を解釈して更に英訳しなければならないような名前もある。いっそのこと片仮名かアルファベットにした方が良い。
子供は、成長したとき、親が付けてくれた名前を感謝するのだろうか。
また「お印」のシロヤシオ(ゴヨウツツジ)は、ずっと前に静岡県の山で見た事がある。きれいな可憐な花であった。ずっと前の事であるが、アマチュア無線家の間で流行っていたパケット通信でのRBBSに書きこんでくれた友人が、シロヤシオをシロビャクニンとも言い、この花にまつわる伝説があると教えてくれたことを思い出している。
01/12/04(Tue.)
我がホームページのアクセスカウンターが2100件を超えた。
1年前に、何もわからずホームページを立ち上げたが、これほどアクセスして貰えるとは考えてもいなかった。
誰もが言うように、ホームページのは制作は難しくないが、メンテナンスが難しい。ちょっと気を抜くと、長期間ほったらかしになってしまい、ホームページを持っているだけになってしまうし、時には、ネタ切れになる。立ち上げてはみたものの、継続ができなくなってしまえば最悪の状態となる。しかし、「継続して・時々アクセスしてくれるホームページの要件とは何か」と考え始めると、ホームページをアップロードすることは出来なくなってしまうから、何も気にせず、先ずホームページを作って、その後で考えるのが良いとも思う。
私は、時々友人のH/Pにアクセスして、友人の消息を知っているが、オーナの消息を知るだけでも楽しいこともある。そして、彼が多忙なのか暇なのかも、メンテ状態で予測することもできる。逆の場合で考えると、彼らは、私が何時も暇と思っているはずだ。
01/12/03(Mon.)
毎日何をしているのだろうか。1日があっという間に過ぎ去ってしまう。今日も無意味な1日であったようにも思える。
朝から時間を気にして出社し、晩まで働いて帰宅し、夕食を食べ終えた時には疲れてグッタリという時代が懐かしく思い出される。
01/12/02(Sun.)
今日も好天気だ。私が育った北陸の冬空とは違って、愛知県は傘も長靴も要らない。
このような日には布団を干すと気持ちが良い。毎日天日に干すわけにもいかないが、布団乾燥機を使う程のこともない。
我が家の二階の南側部屋は、冬季になると、部屋の隅から隅まで日が入るようになる。天気の良い日には、もちろん暖房はいらないし、布団を部屋に敷きっぱなしにしておけば、布団干しができる。
窓が大きいから直接光が入るに加えて、南側にあるガラス温室の屋根の反射光までもが入るからである。部屋に寝転んで空をみると太陽が二つもあるような錯覚になる。そのために、早朝から部屋に太陽光が入ってくる。冬になると、うっとおしい隣のガラス温室も少しは役に立つ。
暇があるので、次のような明かり採り装置を考えている。
直径1mほどのバラボラ式反射板を使い太陽光を集め、集めた光を光ケーブルあるいは光導管などを使って{(並行光線から収束光線)→(並行光線)として}、日の当らない所へ導く装置である。パラボラ式反射板は、モーターで駆動すれば、常に太陽の方に向けていることができるので、効率良く光を集める事ができるはずである。反射望遠鏡の追跡装置と同じ仕組みにすれば良い。
鏡を使って簡易テストをした。ベランダ手すりに南向きに垂直に鏡をぶら下げておくと、うまい具合に、温室の影になる・庭の日の当らない場所に太陽光は反射するので、横方向に長い鏡をベランダの手すりに貼り付ければ、長時間太陽光が導ける。季節により太陽の高さが変わるから、鏡の角度を少し変えれば良いはずだ。
次のテストは、屋根裏に仕舞ってある反射望遠鏡を取り出して、その部品を利用したものにしよう。
最終的には、パラボラ式反射鏡を作ればよい。パラボラは、無線アンテナで幾つか作ったことがあるし、またいろいろな形のパラボラのデータ-も持っている。
成功すれば、我が家の「昼寝ばかりしているぐうたら」お犬様は、日当たりの良いところを求めて移動しなくてもよくなるので、感謝してくれるだろうか。
このような仕組みを装置化すれば日照権問題の一部が解決するように思える。市販品があるはずだから、インターネットで調べてみよう。
01/12/01(Sat.)
今日から師走。
年賀状は買ったが、書く気力がわかないので、来年も正月に書く事になりそうである。
毎年豊川稲荷に初詣に行っているにもかかわらず、年末ジャンボ宝くじは当ったことがない。稲荷様は1年近くも前の「願い」は忘れているようだが、今年も買おう。
名古屋駅前の年末宝くじ売り場の混雑はすごい。豊川稲荷の初詣の人出と同じぐらいだ。名鉄の改札口を出て階段を昇ると、身動きが取れないほどの人が並んでおり、掻き分けて歩道歩こうとすると、5M間隔ぐらいで歩道を横切って綱が張ってある。こちとらは宝くじを買う積りがないのに、5M程の間隔で止められるのである。整理綱は、宝くじを買わない者にとって不便極まりない。名古屋駅前の宝くじ売り場で過去に大物賞が当った件数が多いと言われているが、神様は、ローカル売り場に対しても確率的に不公平はしていないはずなのに、なぜ並んでまで名古屋駅前で買うのだろうか、私は今年も豊川の売り場で「当り券だけを」買う事にしたい。
日本で元旦を迎えれるかどうかわからないが、初日の出を本宮山で拝める可能性もあるので、もう少し足慣らしをしておきたい。
今年はいろいろな出来事があったが、今月も多忙になりそうだ。