■久美子のつれづれなるままに■


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新かどと林武画伯

 はっきりと年代は判りませんが、たぶん昭和15年〜16年頃か、その前後と思われます。
林武画伯が初めて新かどにお出でになったのは、まだ新かど(創業明治25年,熱海の旅館)が熱海の銀座通りの中央に建ち父が2代目の主人の時でした。
画伯の絵を見るなり父は大ファンとなり、以後しばらくの間,画伯と新かどのお付き合いは続きました。
画伯の描いてくださった母の肖像を私も一目見たいと、いつも思っておりますが昭和25年の熱海の大火の際、火事場泥棒にあい紛失してしまったようです。その大火の後、現在の天神山(現在小嵐町)に移転しました。私は父の遅く出来た末っ子の長女で移転後生まれました。
画伯が新かどにお出でになると、きまってべランダに藤棚のある熱海湾を一望出来る、お部屋に長く滞在なさっていました。 私は毎日遊び回っていた裏山から画伯が、そのお部屋のベランダでカンバスに向かって佇む姿をよく見かけました。1958年の熱海風景はここからの眺めと思われます。このサザエと鯵の絵は夕食にお出ししたサザエと鯵を描かれたのかもしれません。落ち着いた色調の中に、サザエと鯵の美味しさも迫ってきます。
新かど と三木のり平さん

 今から7〜8年前、阿佐ヶ谷のあるジャズクラブでの事です。その頃私は、そのお店に時々出演していました。ある日お客様の中に三木のり平の息子さんがいらしてました。
 (私)    「お父様(のり平さん)昔はうちに時々来てくださったんですよ」
 (息子さん)「へえー あんたんとこ、おかまバー?」 
 (私)    「えーっ、違いますよ、熱海の 新かど という旅館ですが、覚えていらっしゃいませんか?」
 (息子さん)「あーよく覚えているよ、いい旅館だったよね。子供の頃よく家族で行ったよ。まだやってんの?」
 (私)    「はい、今は兄がやっています。」
息子さんは懐かしそうにお話しして、
「あのね、役者もうまい役者はたくさ
んいるんだけど、いい役者はなかなかいないんだよ。歌もそうだよ、うまい歌手はたくさんいるけど、いい歌を歌う歌手はあまりいないよ!君はいい歌を歌えるね!」
私は何となく誉められたのかなあと思ったんですけど(笑)
 
この写真は昭和34年の新かどがまだ別荘だった頃の面影を残している玄関でのショットです。男はつらいよ、に出て来る、のり平さんや、喜劇役者としての、のり平さんのイメージとは違って、何んてダンディーでスマートでお洒落なのり平さんでしょうか!